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2009年7月 5日 (日)

琉球政府

385  2日から4日まで沖縄に行ってきました。既に梅雨明け宣言。しかし、からりとした青空ではありませんでした。雲も出ていて蒸し暑かったです。短時間ですが、ものすごい雨も降りました。ほんのわずか歩いただけでびしょぬれになる降り方です。沖縄の皆さん、「かりゆし」を着ています。アロハのような半そでの開襟シャツで、涼しげです。早速、買い求めました。

384  2日、那覇市を中心とする15市町村で作っている広域市町村圏の研修会の講師を務めました。地方分権改革時代と言われますが、市町村は、どういった方向を歩むべきか、考えたいということでした。私が最も強調したのは、コミュニティーです。地域の共同体が元気でなければ、市町村は、元気になりません。市町村が元気でなければ、都道府県も日本も元気になりません。元気の根っこは、地域コミュニティーだと繰り返し述べました。

 沖縄は、地域コミュニティーの伝統が今も息づいていると思ってしまいます。しかし、現代の地域コミュニティーと言える自治会の加入率、那覇市は、20パーセントわずかに超える程度。開成町の加入率が80パーセントを上回っていますので、不思議でした。那覇市は急速に自治組織の活力が弱くなっているということでした。ここを何とかしないと本当に地域に根ざした町づくりが出来ないのではないかと問題提起しました。

 3日、那覇市に隣接する南風原(はえばる)町の職員研修にも参加させていただきました。ここでは、町づくりは、何を守るかから始まるのではないかと訴えました。開成町は、美しい水田を守ることから町づくりが始ったことを紹介しました。水田のあぜ道にあじさいを植えて景観を整えて観光に活用し、町の名前が多少なりとも売れるようになり、人も増え、子どもの数も増えているという実践例を紹介しました。守るから始まり攻めに転じるという考え方は関心を持っていただけたようでした。

 職員の登用方法についても話しました。富士フィルムの先進研究所の誘致の実例を挙げました。土地交渉という難儀な局面にぶつかることは職員にとってまたとない現場研修の機会でした。困難を乗り越えて成果を上げた中堅若手の職員を思い切って抜てきしたと話しました。組織を活性化するには、いわゆる年功序列型の人事を見直すべきだと持論を述べました。管理職の皆さんもたくさん聞かれていたのでいささか刺激的だったかもしれません。

386  4日、琉球大学の構内の会議室で、一般の皆さんも参加する地方自治のセミナーで話しました。ここでは、沖縄の進路について考えていることを思い切って発言しました。沖縄は個々の市町村は、財政力も乏しくバラバラで戦っていては勝負になりません。一致結束できるテーマを掲げてオール沖縄として沖縄の自立運動を展開すべきだと提案しました。「琉球政府」の復活を旗印にしたらどうかと述べました。沖縄は、戦後、1972年に本土に復帰するまで、琉球政府という沖縄全体を統括する組織がありました。琉球政府のトップが占領軍のアメリカとの交渉の窓口でした。

 日本の一員になった現在、再び、琉球政府を復活させるということは、日本政府との間の交渉を一手に握る組織を復活させるということです。判りやすくいえば、沖縄県にある国の出先機関を全て琉球政府の支配下において、沖縄における地方行政を一本化するということです。沖縄県が国の出先機関を飲み込んで琉球政府となるイメージです。沖縄県知事が沖縄のことは全て取り仕切れるようにできるようにすべきです。道州制時代の先駆けです。沖縄からのろしを上げるべきだと喚起しました。反応がありました。

 

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