2009年7月10日 (金)

猛威

 9日、TBSテレビの衛星放送BS-TBSの番組『政策討論 われらの時代』の収録がありました。12日、日曜日の午後5時より放送されます。静岡県浜松市の鈴木康友市長と一緒に地方自治体から見た今の国政について議論させていただきました。キャスターは、毎日新聞のベテラン政治記者岸井成格(しげただ)さん。岸井さんから「東国原知事の行動についてどう思いますか?」と聞かれました。

 私は、「評価します。」と即答しました。地方分権というこれまでほとんどなじみがなかった言葉をお茶の間にこれだけ届けたのですからと理由を述べました。地方分権改革というテーマがあるということについて耳目を集めた功績は誰も否定できません。鈴木市長は、元国会議員の経験があるだけに「評価はしますが、国会議員になられたとしたら、その後大変でしょう。」と感想を述べられていました。

 ところで、東国原知事をめぐる騒動は、収まりつつあります。代わって、嵐を呼ぶ男になっているのは、大阪府の橋下知事です。私も末席を汚しているいわゆる首長連合の中核メンバーです。橋下知事、主要政党の幹部の皆さんと次々と面談し、地方分権改革の断行をマニフェストに明記するよう迫りました。たった一人の知事の行動に大政党が対応に追われています。

 テレビで見た限りですが、橋下知事は、全国知事会の政党マニフェストを評価する委員会でも吼えました。評価が数字になっていなくてわかりにくいと、こき下ろしていました。全国知事会の総会が近くあるようで、その場で改めて議論することになったようです。ここまで来ますと旋風から猛威です。私も含めて全ての首長が存在意義を問われているように思います。

 知事就任から一年年半、経験の浅い知事がこれだけの影響力を発揮されます。その知事から発せられる問いかけにどう答えるのでしょうか。それぞれの立場から、堂々と発言すべきです。橋下知事より経験の長い首長はあまた居るのですから遠慮せずに意見を述べるべきです。橋下手法に賛成反対、色々あって良いと思います。どんなに意見が違っても地方分権改革を進めようという一点では一致点が見い出せると思います。

 首長達の大いなる議論が地方分権改革への国民の関心を更に高め、国政への影響力を強めることになります。どの地域が地方分権改革の議論の中核になるか。議論はやがて行動へと移っていくはずです。明治維新は、薩摩、長州、土佐、肥前が中心になって達成しました。平成の地方分権の断行を柱とする政治維新運動の中心を担うのは、果たして…。

2009年7月 9日 (木)

出前授業

 8日、開成小学校で授業を行いました。4年生にゴミの話をしました。187人、5クラスです。体育館に集まってもらいました。「おはようございます。」、子ども達の声を聞きますとすがすがしくなります。最初にちょっと注意事項を伝えました。お隣の南足柄市で高校生が新型インフルエンザに感染したことがわかりました。

 私が、「新型インフルエンザって知っている?」と聞きますと、「知ってる。」との返事。「何をしなくてはならないんだっけ。」と問いかけますと、「手洗いとうがい」との答え。先生達が、日頃、よく話していただいていることが判りました。続いて、本題のゴミの話に移りました。開成町にはゴミを燃やす場所がないことをまず伝えました。山北町まで運んで燃やしています。燃えカスの灰は、長野県で捨てさせてもらっています。

 燃えないゴミは、遠くに運んでいます。ビンとガラスは、川崎市、蛍光灯は、横浜市、乾電池は、北海道です。ここで「北海道に行ったことのある人?」と聞いてみたら、かなり手が上がりました。ちょっと驚きました。処理すればもう一度使えるゴミも同じです。ペットボトルは栃木県、紙は、静岡県です。「栃木県は知ってますか?」、「知ってる。」との答え。日本の県の名前、勉強していました。

 ゴミを遠くまで運んで処理している開成町は、できる限りゴミを出さないようにしないといけません。小学生も協力して欲しいとお願いしました。大きなことでなくてもよいので身の回りで出来ることをしようと言いました。「生ゴミの中身で一番多いのは何だと思う。」と聞きました。答えは、「水です。」と言いますと「えー。」という反応でした。半分が水です。水をちゃんと絞れば、開成町の25メートルプール4杯分になると説明しました。

 「何でゴミや環境やエコのことを勉強しないといけないんですか?」と聞かれました。ゴミがあちこち捨ててなければ、町がきれいになります。ゴミの量を少なくすればその分おカネが節約できます。続いて、「地球温暖化という話知ってますか?」と聞いてみました。「知ってる。」との返事でした。ゴミを燃やせば、地球温暖化の原因となる二酸化炭素が出ます。少なくすることが大切です。これで授業は、おしまい。最後は、全員で校歌を歌いました。子ども達とやり取りしている内に、すっかりリフレッシュしました。

2009年7月 8日 (水)

特賞

 7日、七夕。蒸し暑い一日でした。月に一度の三役部長会議がありました。早くも次の年度の予算についてが話題となりました。底を打ったのではないかと言われる国内景気ですが、実感ありません。税収を厳しく見積もった中で予算を組まざるを得ません。今年は、小学校の建設という23億8千万円の大きな事業がありました。この事業を完成させるために他の予算は我慢してもらいました。

 来年は、通常のベースに戻りますが、税収が増えないとなると、緊縮財政は、継続せざるを得ないのが実情です。今からやり繰り算段の知恵を出していかないと予算が組めません。いささか頭が痛いです。町民の皆さんにも早め、早めに財政の実情をお知らせして協力をいただくところは、いただいて、我慢の予算編成とならざるを得ません。

 366 今年のあじさい祭の実績報告がありました。町からの補助金は、550万円から400万円に減りました。担当者は、企業の協賛金を確保したり、着ぐるみのキャラクターを登場させて会場で募金を募ったり、新たに入園料をいただく施設を設けたりして収入を確保しました。補助金の削減幅を上回る180万円以上になりました。

 来場者数は、大きく伸びました。昨年が17万3千人だったのに対し、初めて20万人の大台を突破して21万1千人となりました。担当部長は、「金一封が出ても良いぐらいだ。」と報告しました。私は、「特賞を担当チームに出しましょう。」と直ちに決めました。ただし、「今年、150万円削減してもこれだけ頑張れるのだから来年はもう少し削減するかもしれない。」と付け加えました。「金一封より、そちらの方が怖い。」と担当部長は答えました。

 沖縄へ講演に出かけたことも報告しました。沖縄の夏の軽装、「かりゆし」のことを話題にしました。とにかく涼しいです。開成町でも沖縄の知恵を借りて工夫したいものだと話しました。あじさいのデザインの入った開成町バージョンのかりゆしとか。本物は、かすりで非常に高価ですので、綿の安い素材のもので十分です。アイデア募集です。

 那覇市に隣接する南風原(はえばる)町は、平和教育を町づくりの柱の一つにしています。戦争で、40パーセントの人が亡くなった町です。今年11月にオープンする文化センターには、戦争中、実際にあった洞窟の中の病院の様子を復元します。開成町としても、沖縄と平和教育の分野で交流できないか考えたいです。

2009年7月 7日 (火)

県立病院

 6日、私達が住む足柄上地域1市5町における唯一の中核病院、県立足柄上病院の山本病院長と意見交換させていただきました。4月から病院長に就任されています。横浜から通われています。専門は外科です。足柄地域に来られて、足柄上病院の地域における期待感というか位置づけが確認できたと話されていました。

 横浜で考えていると、人口11万人の地域の一病院です。しかし、山林が多く、224平方キロと広大な面積を有する山北町をはじめ、人口が密集している都市部とは地域環境が全く違います。県内の公立病院に多くの医師を派遣している横浜市立大学では人口30万人程度を一つの単位で考えて病院の機能を集約して行こうというのが主流の考え方のようです。この考えを一律に適用されますと小田原に集約ということになりかねません。

 上病院、一般のベッド数が290床。このところ空きが増える傾向にあるようです。医師の数が減り診療が出来ませんと、患者の方は、小田原へと向かわざるを得ません。更にベッドが空き、病院の経営を苦しめます。放置しておきますとマイナスの悪循環に陥る危険性があることを知りました。地元の首長の一人としてもっとこの問題に関心を持たないといけないと痛感しました。

 県立病院ですので、県任せにしてきたことは事実です。反省しないといけません。住民の視点に立てば県立かどうかは二の次です。きちんとした医療を受けられる地域であるかどうかの方が一番の関心事です。もっと県立足柄上病院と連携をとって足柄上病院の実情を広報などで町民に伝えることは、最低限必要な取り組みです。9月より外科の救急体制を充実させるということでしたので、こうした情報をきめ細かく伝えることから始めたいと思いました。医師の方に広報に定期的に登場していただくのも良いですね。

2009年7月 6日 (月)

協働

387  5日、7月から施行された「開成町きれいなまちをつくる条例」の説明会がありました。各自治会や各種団体の代表の方をはじめ大勢の皆さんに参加いただきました。会場は、ほぼいっぱいでした。自治会を中心に町づくりへの参加の意識が高いと思いました。

 あいさつで前日まで3日間沖縄に講演に出かけていたことを報告しました。沖縄では自治会の加入率が下がり、県庁所在地の那覇市では20パーセント台であることを伝えたところ皆さんビックリされていました。町内の各地域で自治会を基点に様々な活動を展開していただけることは、町づくりを進める上で、この上ない力強い応援団が存在していることです。沖縄の自治体関係者も高い関心を示されました。

388  今度施行した条例は、ゴミの出し方を守ることや落書きをしないなど主にマナーを定めたものです。参加者からは、「マナーだけでは、きれいな環境は守れないのではないか。」との指摘がありました。開成町は、罰則を適用してビシビシ取り締まるのではなく、マナーを守ることを呼びかけることで環境を守って行きたいという理想があることを説明し理解してもらいました。

 また、「ただ単にマナーといっても指標を設けて数値管理すべきだ。」との指摘もありました。精神論だけでは進みません。環境美化の各種のキャンペーンへの参加者数とか、ゴミを出す場所への不法投棄されたゴミの量とか何らかの指標を決めて、推移を見守りたいと思います。

 上島自治会長さんが実際に自治会で行っている取り組みを紹介されました。中学校脇の道路の草むしりを中学生と自治会で行ったということでした。生徒が74人も参加したということです。ともに協力し、行動するという意味の「協働」という言葉を強調されていました。自治会は、自発的にこれだけの実践を行っているのだから、町行政もしっかりしろとお尻を叩かれた気分でした。

2009年7月 5日 (日)

琉球政府

385  2日から4日まで沖縄に行ってきました。既に梅雨明け宣言。しかし、からりとした青空ではありませんでした。雲も出ていて蒸し暑かったです。短時間ですが、ものすごい雨も降りました。ほんのわずか歩いただけでびしょぬれになる降り方です。沖縄の皆さん、「かりゆし」を着ています。アロハのような半そでの開襟シャツで、涼しげです。早速、買い求めました。

384  2日、那覇市を中心とする15市町村で作っている広域市町村圏の研修会の講師を務めました。地方分権改革時代と言われますが、市町村は、どういった方向を歩むべきか、考えたいということでした。私が最も強調したのは、コミュニティーです。地域の共同体が元気でなければ、市町村は、元気になりません。市町村が元気でなければ、都道府県も日本も元気になりません。元気の根っこは、地域コミュニティーだと繰り返し述べました。

 沖縄は、地域コミュニティーの伝統が今も息づいていると思ってしまいます。しかし、現代の地域コミュニティーと言える自治会の加入率、那覇市は、20パーセントわずかに超える程度。開成町の加入率が80パーセントを上回っていますので、不思議でした。那覇市は急速に自治組織の活力が弱くなっているということでした。ここを何とかしないと本当に地域に根ざした町づくりが出来ないのではないかと問題提起しました。

 3日、那覇市に隣接する南風原(はえばる)町の職員研修にも参加させていただきました。ここでは、町づくりは、何を守るかから始まるのではないかと訴えました。開成町は、美しい水田を守ることから町づくりが始ったことを紹介しました。水田のあぜ道にあじさいを植えて景観を整えて観光に活用し、町の名前が多少なりとも売れるようになり、人も増え、子どもの数も増えているという実践例を紹介しました。守るから始まり攻めに転じるという考え方は関心を持っていただけたようでした。

 職員の登用方法についても話しました。富士フィルムの先進研究所の誘致の実例を挙げました。土地交渉という難儀な局面にぶつかることは職員にとってまたとない現場研修の機会でした。困難を乗り越えて成果を上げた中堅若手の職員を思い切って抜てきしたと話しました。組織を活性化するには、いわゆる年功序列型の人事を見直すべきだと持論を述べました。管理職の皆さんもたくさん聞かれていたのでいささか刺激的だったかもしれません。

386  4日、琉球大学の構内の会議室で、一般の皆さんも参加する地方自治のセミナーで話しました。ここでは、沖縄の進路について考えていることを思い切って発言しました。沖縄は個々の市町村は、財政力も乏しくバラバラで戦っていては勝負になりません。一致結束できるテーマを掲げてオール沖縄として沖縄の自立運動を展開すべきだと提案しました。「琉球政府」の復活を旗印にしたらどうかと述べました。沖縄は、戦後、1972年に本土に復帰するまで、琉球政府という沖縄全体を統括する組織がありました。琉球政府のトップが占領軍のアメリカとの交渉の窓口でした。

 日本の一員になった現在、再び、琉球政府を復活させるということは、日本政府との間の交渉を一手に握る組織を復活させるということです。判りやすくいえば、沖縄県にある国の出先機関を全て琉球政府の支配下において、沖縄における地方行政を一本化するということです。沖縄県が国の出先機関を飲み込んで琉球政府となるイメージです。沖縄県知事が沖縄のことは全て取り仕切れるようにできるようにすべきです。道州制時代の先駆けです。沖縄からのろしを上げるべきだと喚起しました。反応がありました。

 

2009年7月 2日 (木)

教育委員

 1日、新たに教育委員になられた方に辞令を渡しました。中学一年生と高校一年生の息子さんのお父さんです。3月まで小学校のPTA会長を務めていられました。少年サッカーの普及にも熱心です。昨年4月より国の法律が変わり、保護者の代表を教育委員に必ず入れることとされました。この改正に対応したものです。

 開成町の教育委員は、5人。サラリーマンで消防団など地域活動に熱心に取り組んでいられる方が教育委員長。子どもの心の相談を手がけてこられた女性の方、開成町に研究所がある富士フィルムの研究員だった方、今回就任された父兄の代表の方。それと事務局長である教育長。教育長は、文部科学省から派遣してもらっています。教育委員といいますと先生だった方々の集まりという印象を持っていられるかもしれませんが、開成町は、先生のOBの方は一人だけです。

 教育委員会の役割の一つは、専門家でない一般の方々の多様な意見を取り入れることにあります。しかし、全くの素人の方では、なかなか意見が出しにくいです。学校の先生ではありませんが、何らかの形で教育に関係した経験がある方に就任していただいています。分野は様々ですが、セミプロといったところです。

 新しい小学校が来年4月に開校します。これをきっかけに日本一の教育の町を目指そうと呼びかけています。教育委員会が一丸となって取り組んでいただきたいと期待して止みません。学校単位で地域の人々が学校の運営に関わりを持っていこうという「学校運営協議会制度」の導入を目指し準備を進めています。

 開成町は、自治会の町づくりへの参加意欲が極めて高いのが特徴です。この意欲を活かし、教育の町づくりを展開して行きたいと思います。それと、富士フィルムと言う先端企業の研究所があります。その研究所と教育分野で連携を図りたいと思っています。教育委員の中にも研究所のOBの方に入っていただいています。研究員の方に学校に来ていただいて理科の実験をやってもらったり、逆に研究所を見学させていただいたりできないものかと思っています。実現したいです。

 今日から4日まで沖縄に行ってきます。地方自治の勉強会に招かれました。地方分権改革について話してきます。5日のティータイムで報告いたします。

2009年7月 1日 (水)

分権改革報告89

 30日、地方分権改革推進委員会がありました。委員会終了後、大学時代の友人と会いました。卒業してちょうど30年ということが話題になりました。私は、言われて気がつきました。もう30年…。14年半、NHKで記者生活、衆議院選挙に敗れたり浪人時代が4年半、町長に就かせてもらって11年あまり。結構、波乱がありました。妻や家族に迷惑をかけてしまったとの思いがよぎりました。

 委員会では、地方税財政について意見交換がありました。事務局長より議論の論点を整理したたたき台が示されました。「地方税比率」という耳慣れない用語が突然飛び出してきました。委員から質問が相次ぎました。分母は、地方税に加えて、国から補てんされる地方交付税や補助金、それと各自治体の借金など。分子は、地方税。要は、歳入の中の地方税の割合を示すものです。この割合を例えば50パーセントとか目標を定めていくことも一つの考え方だということでした。

 地方自治体にとって自由に使える地方税が増えることはもちろん好ましいことです。しかし、国から補てんされる財源が減れば自動的に比率は高くなります。苦しくなって地方税比率が上がると言い換えても良いことになります。地方税の割合を高めるという目標を掲げることで、逆に財政力のとぼしい自治体の苦しみを消してしまう恐れがあります。果たしてこれが正しい目標設定でしょうか。

 削除ということになりました。地方のことは地方で自主的に行うのが地方自治なのだから地方の税財政も同様、地方税中心にすべきだという発想は、どちらかといえば財務省の発想方法。繰り返しになりますが、この考え方ですと、豊かなところと貧しいところが出ます。その調整は、地方自治体の間で行ってくださいという考えにつながります。昨日の委員会は、丹羽委員長が欠席でした。西尾委員長代理が仕切り役でした。

 事務局長に対し、こうした提案をしたことについて「何か意図はあるのか。」と聞きました。「ありません!」との答えでした。財務省に近いと邪推されかねない提案だと、正直、私は思いました。事務局長が明確に否定されたので、了解することにしました。また、消費税の増税という言葉が散りばめられていたのも気になりました。その一方で、地方に配分される消費税、すなわち地方消費税の充実を目指すという方向性が読み取れません。これも、財務省の考え方が見え隠れするようで気になって仕方ありませんでした。

  事務局長は、あくまでも論点整理をしたのであって、改革の方向性は委員間の議論で決めるべきだということでした。確かにその通りですが、それにしても「地方消費税の充実」という文言がないのはいかがなものかと思いました。政府は、消費税を仮に増税した場合、増税分は、国として福祉目的に活用するものという考え方を打ち出しています。与謝野財務大臣は、国税としての消費税が増税されれば自動的に地方消費税も増える仕組みになっていることを踏まえて地方も福祉目的に使うべきだと述べています。

 地方消費税は、地方が自由に使える財源であるという認識が感じ取れません。地方消費税充実への記述が見当たらなかった背景に、財務省のこうした考え方が微妙に影響を与えているのではないかと、これまた、思いたくなりました。しかし、あれこれ推測しても仕方ありません。議論は委員の間で行い、方向性を決めていくべきものです。地方が、がんばれば元気になれるという税財政制度を作っていかなくてはなりません。これからが議論の本番です。

2009年6月30日 (火)

33歳

 33歳。私が二十歳の時にこの世に生を享けたことになります。ほぼ親子です。28日、開票された横須賀市長選挙で、33歳の新人、吉田雄人さんが、現職を破って初当選しました。衝撃を与えました。若さだけではありません。横須賀市は、中央官僚が36年に渡って市長を務めてきました。その慣例に初めて風穴を開けました。

 無所属で、草の根。組織に頼らず地道に政策を訴える。お金もかけない。典型的なボランティア型の選挙だったようです。現職は、元自治省の官僚で、独自候補を擁立した共産党を除く政党の市議などが支援しました。しかも、2期目への挑戦でした。常識的には、現職の強みを活かして他を圧します。

 理由は、何なのでしょう。投票率が、前回より5パーセントほど上がっています。票にして17500票ほど。票差は、4500票です。投票率を押し上げた層の投票先が勝負を決めたように思います。詳しい分析はわかりませんが、新聞報道によりますと、日に日にボランティアの数が増えたということです。普段余り政治に関わってこなかった層の皆さんが勝利の原動力であることは間違いありません。

 横須賀は、戦前は、軍港を擁する軍都。戦後も在日アメリカ軍基地、海上自衛隊の基地がある町です。中央官僚でない市長の登場に政府も内心穏やかではないでしょう。防衛という国家としての最大の任務を遂行する上で支障が出るかどうか気になるところです。新市長は、市民の目線で市政を進めていく方針を明確にしています。防衛といえども市民に判りやすく説明するよう国に求める姿勢を強めることでしょう。当たり前といえば当たり前です。

 国の政治の混乱も勝利を後押ししたのは確実だと思います。宮崎県の東国原知事、大阪府の橋下知事が地方の立場から過激な発言を繰り返しています。地方の時代を演出しているとも言えます。そうした空気の中で行われた千葉市長選挙では、民主党が推した31歳の市長が誕生し、横須賀では、33歳の完全無党派市長の登場となりました。大きく日本の政治が動いています。地方から。

2009年6月29日 (月)

谷川雁

 昭和初期、1920年代後半、蟹漁船で展開されていた過酷な労働の実態を描いた小林多喜二の作品『蟹工船』が、ブームと言われて久しいです。派遣労働の、急速な広がりに伴う労働条件の悪化が背景にあると言われています。最近、大きな書店に行きますと谷川雁という詩人の作品集が目立ちます。谷川雁は、戦後の炭鉱を拠点とした労働運動、60年の安保闘争で注目された活動家です。

 忘れられていた谷川雁に再び光が当たりつつある背景は何なのでしょうか。私は、その鍵は、「地方」にあるような気がしてなりません。私は、名前だけは、かろうじて知っていた程度でした。初めて、手にして、拾い読みをしてみますと、ところどころに魂を鋭く突くような言葉があります。

 下部へ 下部へ 根へ根へ 花咲かぬ処へ 暗黒のみちるところへ

 そこに万有の母がある。 (『原点が存在する』)

 東京へゆくな ふるさとを創れ (『東京へ行くな』)

 地方の決して恵まれない、厳しい生活を直視してこそ新たな価値が産まれるという心情がほとばしっているように思います。東京だけが日本ではないという田舎者としての自負も感じ取れます。現在、地方は、経済的に苦しんでいます。こうした事情が、谷川雁の再発見につながっているのではないでしょうか。

 1970年代の大学闘争、学生達を鼓舞した言葉も、谷川雁の作品からでした。

 連帯を求めて孤立を恐れず 

 力を尽くさずして倒れることを拒否する。(『工作者の死体に萌えるもの』)

 時代の大転換期と言われます。谷川雁の言葉、揺さぶられます。特に「連帯を求めて孤立を恐れず」は、格別です。しかし、そうした姿勢をとるためには、自らに原点がなければなりません。また、根拠地となる場所、ふるさとが、ありませんと漂ってしまいます。

«心無罣礙(しんむけいげ)